宇藤花菱会

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成人向けM/M恋愛小説。
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冬の余韻。

 アキラは、隆輔に叩き込まれた衝撃の余韻に浸っていたが、ふと目線を挙げると彼の険しい横顔があった。

 放出後の虚脱感というのとは違うようだ。アキラの隣りに身を横たえてはいるが、寝台のヘッドボードに後ろ頭をもたせて、中途半端な姿勢で苦虫を噛み潰した顔をしている。
「どしたぃ?」
 アキラは低く声をかけた。泣かされ続けた喉は甘く痺れて、どのみちそれ以上大きな声は出なかった。
「うん?」
 隆輔は鼻にかかった声で生返事した。アキラは気だるい上体を起こすと、肘を枕について自分の頭を支えた。
「またつまんねぇこと考えてんのかい」
 隆輔は横目使いをして、恨めしそうにアキラを睨んだ。それからぶっきらぼうに「ああ」と返事をした。
「考えてる」
「どんなこったい?」
「うむ」
 隆輔は半目になると溜息まじりに続けた。
「耳の底に彼の声が残っている」
「やなこと言うねぇ」
「そうだ」
 隆輔は眉をひそめた。
「俺は最低だ」
 アキラは食卓で言ったのと同じことは言わなかった。
「そうだよな。ひでぇ奴だよ」
 隆輔がまともに振り向いた。ダウンライトの薄明かりの下で褐色の眼がアキラの表情を探った。
「あんたぁいつも腹ン中で俺を誰かと較べてる」
 彼の痩せた顔に痛みが走った。
「俺ぁばか正直にあんたにしがみついてる」
 彼が反射的に片手を浮かせた。
「あんたが人間の屑なら俺ぁそれ以下さ。濡れ落ち葉みたいなもんだな」
「自分でそういうことを言うもんじゃない」
 彼の指先がアキラの頬鬚をつまんだ。
「あんたが言い出したんでしょ」
「うむ」
 彼はアキラの鬚を指の腹で撫でると、苦しそうに眉間の皺を深めた。
「俺は貴様を失いたくなかったんだ」
「いまはどうなんだい」
「今もだ」
「でも?」
「忘れられない」
「けど」
「ああ」
「あんたは昔、俺の前じゃそんなふうに露骨に機嫌の悪そうな顔をしなかったよな」
「そうか?」
 隆輔が眉を挙げた。
「うん。いつも愛想よかった」
「そうか。すまん」
 彼は愧じたように顔を背けた。アキラはその横顔に向かって言った。
「いや、そういう意味じゃねぇよ。俺ぁそれが寂しくなっちまったんだ。無理してると思った。忙しいのに」
「いや。そうじゃない」
 隆輔が辛そうな横顔を見せたまま首を横に振った。
「本当に嬉しかったんだ。貴様が来てくれるのが」
「じゃあ、俺が遠慮しなきゃよかったんだな」
「そうだ」
 隆輔が鋭く振り返るとアキラの耳の下に顔を埋めた。アキラは彼を掻き抱いた。
 浮気の後始末は、心の整理だ。アキラの体は、アキラを失いたくないという隆輔の言葉が嘘ではないことを知っていた。同時に、自分が秀孝の代役ではないのかと疑う屈辱の苦味をも知っていた。同時に、秀孝が風間の手に移ったことを嘆く隆輔に同情もしていた。
 つい先刻まで、彼の腕の中で泣き叫びながら、いつもより何をするにも執拗だと感じながら、アキラは自分自身の脳裏に去来する想念を追っていた。自分も大胆に腰を使いながら、腹の中で隆輔に問いかけていた。
 あいつよりいいか?
 忘れられねぇか?
 ざまぁみろ、浮気者め。
 あいつにだけぁ渡さねぇ。
 自分の本心も一通りではなかった。隆輔の手練手管も一通りではなかった。確実なのは二人の体の相性がいいことだった。しかもアキラ自身が秀孝との出会い方が違えばよかったと、まだ思っていた。
 アキラは、自分ではそれを言わずに、隆輔が自分に甘えることを喜んだ。2年前、はたして本当にアキラが遠慮しなければ展開が違っていたのかどうかの確信もないままに、隆輔がまるでアキラが悪いというようにすがりついて来たのを受け留めて、さっきとは逆に、彼を自分の下に組み敷いた。
 冬の夜は、長いのである。
 隆輔の自己申告を信用していいなら、秀孝は隆輔の内部の味を知らない。浅ましい独占欲に支配されると、アキラの胸は甘酸っぱい喜びで一杯になった。
「先生」
 彼の中に深く沈みながら、アキラは口走った。
「俺の先生」
 隆輔が吐息まじりに言葉にならない声を漏らした。

「兄貴ィ」
 ログハウスの窓辺から妹が呼んだ。
「女子力高い兄貴いィ」
「なんでぃ」
 女子力高い兄は裏庭にいた。鉄工場で着ている裏ボア付きの防寒ジャケットを着て、滑り止め付きの軍手をした手で鉈を握って、冬空の下で薪割りをしていた。
「手伝ってえぇ」
 妹の夕貴(ゆうき)は、夕方に産まれたから夕貴だ。しかし風情はない。じきに四十になる子持ち女だが、まだ本人が少女のつもりでいる。それも柄の悪い少女だ。しかし節分を過ぎるとチョコレート菓子は作る。しかし、すぐに音を上げる。
「なにが女子力だよ」
 アキラは軍手を外して手を洗うと、手早くバターを掻き立て、チョコレートを湯煎に掛けて、夕貴が旦那に渡すのと、その娘が方々に配って歩く分の菓子を3種類ばかりこしらえた。
 料理の中でも菓子作りは特に理科の実験に似ている。書いてある通りにすればいいだけだ。
「だってバターを混ぜるのは腕が疲れるって書いてないじゃん」
 屁理屈を言う口調が小学生の頃から変わらない。娘の瑠杏(るあん)はラッピングに凝っていた。手先は器用なようだ。
「お前のほうが見どころあるな」
「にひっ」
 その弟は足がつくようになって、いたずらするから台所からは閉め出されている。祖母がお守りだ。
 三世代同乗でログハウスに来た。ほど近くに外資系ショッピングセンターが開店したというのが口実だ。食材を買い込んで来て、アキラに働かせて自分たちは客になるつもりでいる。
 アキラも悪い気はしない。人が増えただけなのに、室内が明るく見える。
「兄貴は先生にあげに行かないの?」
 夕貴も隆輔を先生と呼ぶ。
「行かねぇよ。学年末試験で忙しいから」
 アキラは晩飯の下ごしらえに取りかかりながら答えた。
「チョコはこないだ食わせてやったからいいんだよ。奴がここに来たときに」
 本当だ。正月休みに会った時に。
 ガナッシュにコーヒー味を効かせてやったから喜んでいた。三上とツーリングに行って足湯に浸かりながら人生を語り合ったことも話してやったらしみじみ喜んでいた。しかし足湯が気持ち良かったので併設の休憩所で温泉にも浸かった話をしてやったら、やきもち焼いた。
 やきもち焼いて何を言ったというのではないが、顔色が少し変わったのがアキラには分かったのだ。
 それは夕貴には言わないが、あの先生は、つねに平常心の武道家兼教員を気取っていても、ほんとは寂しがりやで感激屋で流されやすくて怒りっぽくて、わりとめんどくさい男だ。
 顔がよくなきゃ惚れなかったと思いながら、秀孝と似てるところがあるのかもしれねぇと発見した気分になったりもした。それはもちろん本人には言っていない。
 奴らは、もしかしたらまた惹かれ合ってしまうのかもしれない。かすかな危惧も湧いた。
 しかし、と思い直した。
 もしまた過ちということがあったとしても、アキラはもうそれを過ちとは呼ばないだろう。すでに一生分くらい揉めた気がする。
 だから、もし隆輔が本気で二度とアキラと指先も触れ合いたくないと言い出す時が来たら、その時はアキラはマリアナ海溝くらい深く落ち込むだろうが、反射的に彼の首に手を掛けるとか、ああいう激情は、もう起きないだろう。たぶん。
 そして三上にあらぬやきもち焼いた隆輔の感度は、よかった。このログハウスは、いまやその夜の思い出も宿している。
 そして甥っ子は離乳食の段階を過ぎて、よく食う男児になっていた。時は流れる。

「付き合えよ」と風間俊雄が言った。
「いいよ」と三上 良が答えた。
 俊雄自身が出演したライブは盛況で、客席は男女の二人連れが多かった。俊雄は篠笛でジャズのスタンダードナンバーを軽妙に吹いた。三上は客の一人だった。その終演後だ。
 俊雄は珍しくブランデーベースのカクテルを注文した。三上は国産ウィスキーのハイボールだ。今日は何の話かなと思いながら待った。俊雄は疲れたというようにテーブルに肘をついて両手で顔を覆った。溜息をついた。
「チョコが減った」
「そ…」
 唐突な告白に三上は声を失った。
「そうなんだ…」
 やっとそれだけ言った。
 楽器の準備に腕力の要る大鼓を打ってみたいという婦人は多くなく、三上には女弟子がなく、後援会の年配者たちも歳暮はくれてもチョコレートということはあまり思いつかないようで、三上はその数や質に一喜一憂したことがない。してみたいような気もするが自分の一存ではどうにもならないので諦めている。
 しかし俊雄には、その点でも武勇伝があると言える。しかし今年は減ったらしい。
 彼は指先をずらして目元をのぞかせた。三上は本当に落ち込んでるんだなぁと思った。慰める言葉もない。
「まだ何もしていないのにと言ったら信じるか」
「そ…」
 ふたたび絶句した。
「そうなんだ…」
 やっとそれだけ言った。
「で、でも」
「ああ?」
「その、よく分からないけど、もし、昔みたいに、お見合いが決まったということだったら、そうなるんじゃないかな」
「ああ、…うん。そうかもな」
 俊雄は納得したようだったが、視線を逸らすと自嘲気味に口元を歪めた。
 ビトウィーン・ザ・シーツ。
 名前も味もアルコール度数も大人のカクテルは、俊雄が自分自身に向けた皮肉だったらしい。
 しかし、こればっかりは三上も秀孝に向かって「受けてやってくれ」とも言えない。困った時、やっぱり三上は楽器に接して硬くなった自らの手を擦ることしかできない。

 鳴月荘の庭に白梅が咲いて、秀孝の胸が痛んだ。
「にゃん」
 懐に入れた仔猫が鳴いた。その小さな頭を撫でながら、秀孝は三部咲きの白梅に見入った。
 立春を過ぎた陽射しを透かす白い花弁。冷たい大気に沁みる淡い香り。桜よりも早く春を告げる花の兄。あの人が、こうして白梅に見入っていた。
 花と呼ばれた秀平を思い起こしながら、だ。ぼくは嫉妬した。
 その秀平が梅の咲く頃に鬼籍に移って、一年になる。いま頃は。
 あの親友たちは、三瀬川の向こう岸のどこでどうしているだろう?
 雅幸は、戦で脚を痛めなければ玄人になれたと父が言った。
 肉の鎧を脱ぎ捨てて、霊魂は自在に足拍子を踏んでいるだろうか。舞の軌跡を描いているだろうか。
 神に捧げる舞という。神々は照覧あるだろうか。秀孝の思念はやや高ぶった。

 愛らしい少年が二人、八百万の神々の見そなわす前で、扇に白梅の香を載せて、相舞を舞っていた。舞っていた。秀孝の頬を憧憬と嫉妬の涙が一筋落ちた。

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